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凸版印刷株式会社 語源

凸版印刷の由来・語源


■凸版印刷株式会社(とっぱんいんさつ)は、日本の印刷会社である。国内印刷業界2強(凸版印刷・大日本印刷)の一角で、世界最大規模の総合印刷会社である


■略称:凸版(とっぱん)


社名の由来
■日本唯一の紙幣印刷技術を社名に


■大蔵省印刷局でやっていた高級なエルへート凸版印刷の『凸版』を社名にした


■『凸版』という社名は、唯一の専門技術をそのまま社名で強調したいという自信から現れて名付けられた


■大蔵省印刷局でエドアルド・キヨッソーネ(紙幣づくりの名人と呼ばれたイタリア人)の部下だった木村延吉(きむら・えんきち)と 降矢銀次郎(ふるや・ぎんじろう)が出資者を募ったのが始まりである


■大蔵省をキヨッソーネが退職すると、『恩師が去ったあとの役人勤めに意味はない』として早々に退職。2人で事業をした


■技術屋の2人は出資者を募り、創業者・河合辰太郎(かわい・しんたろう)を迎えて明治33年に『凸版印刷合資会社』を設立した


※参考文献『誰かに教えたくなる 社名の由来』本間之英

チョコレート 起原

チョコレートの由来・起源


■チョコレートは、カカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳などを混ぜて練り固めた食品である


■チョコレートが誕生したのは、アステカ王国(古代メキシコ)といわれる。最初は飲み物であった。また、カカオ豆はお金としても使われ、ウサギ一匹がカカオ豆10粒と取引された


■15世紀末、コロンブスがカカオ豆をヨーロッパに伝える。最初は高級な飲み物として貴族たちの間に広まった


■19世紀になると、スイスで固形のチョコレートがつくられ、19世紀末には、固形のチョコレートが主流になった


■日本が、チョコレートという食べ物を知ったのは、幕末の頃である。1858年にヨーロッパへ派遣された文久遣欧使節がチョコレートの工場を見学している


■日本でチョコレートがつくられたのは、明治時代である。1918年(大正7年)、森永製菓が日本ではじめてカカオ豆からチョコレートをつくって販売した


※参考文献『食べものの伝来がわかる絵辞典』PHP

フライドポテト 語源

フライドポテトの由来・語源


■フライドポテトは、ジャガイモを食べやすい大きさに切って、油で揚げた料理である


■日本ではポテトフライと呼ぶこともある


■フライドポテトは、もともとはオランダの伝統料理である


■フランス、ベルギー、イギリスなどの周辺国に伝わり、フランスからアメリカに伝わったので、アメリカでは『フレンチ・フライ』『フレンチ・フライドポテト』と呼ばれる


■オランダでは基本的にポテトは夜食や昼食といった日常生活で食べられている。 実際にポテトは店で買うのだが、日本のように、油をフライパンに入れて汚すことがなく、ポテトを揚げるフライヤーがある


■アメリカのレストランでは、ハンバーガーやサンドイッチのつけあわせとしてフライドポテトが供される


ポテトチップスはクレームから生まれた?
■フライドポテトからポテトチップスが誕生したという説がある。19世のこと、アメリカのレストランで、フライドポテトが厚すぎると文句を言われたシェフが、いじわるをして紙のように薄くして揚げたところ喜ばれ、それがポテトチップスになったという


※参考文献『食べ物の伝来がわかる絵辞典』PHP

納豆 語源

納豆の由来・語源



■納豆(なっとう)は、大豆を納豆菌によって発酵させた日本の発酵食品である

■由来・語源
納豆は精進料理として主に禅寺の納所(なっしょ、寺院の倉庫)で作られた食品で、これが名前の由来という説が『本朝食鑑』(1697年刊)という書物に載っている

納所に勤めていた僧侶が納豆造りをしていたので、納所の字をとって「納豆」になったという


■精進料理(しょうじんりょうり)とは、仏教の戒律に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理である

■『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)は、人見必大によって江戸時代に著された本草書。12巻10冊。元禄10年(1697年)刊。日本の食物全般について、水部以下12部にわかち、品名を挙げて、その性質、能毒、滋味、食法その他を詳しく説明する。食鑑中の白眉とされる

■平凡社東洋文庫所収
平凡社東洋文庫(へいぼんしゃとうようぶんこ)は、平凡社が刊行する叢書シリーズ。1963年に創刊。2013年秋の創刊50周年を機にファンクラブ「東洋文庫読者倶楽部」を発足している

椿山荘 語源

椿山荘の由来・語源



■椿山荘(ちんざんそう)は、東京都文京区関口二丁目の小高い丘に建つ宴会施設。広大な庭園を擁し、敷地内にはホテル椿山荘東京を併設している


■由来・語源
武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれていた

江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷だった

明治の元勲である山縣有朋は西南戦争の功により年金740円を与えられ、1878年(明治11年)に購入、自分の屋敷として「椿山荘」と命名した


■椿(つばき)は武士に嫌われていたのか?
椿は最期、ボトンと落ちることから、打ち首が連想されるので武士の間で嫌われていたと言われるが、本当だろうか?

椿が武士に嫌われたというのは、明治以降の俗説と言われる。牡丹愛好家が椿人気を妬んでそんな説を出したとか出さないとか

真偽のほどはともかく、椿が武士に嫌われていなかったことを裏付ける話は幾らでもある

徳川秀忠は椿好きで、江戸城の御花畠には多くの椿を植えていたとされる。また、肥後椿は、細川藩の椿愛好の武士が品種改良を重ねてつくった椿である

椿山荘は山縣有朋が命名したが、武士に嫌われている花ならば、こんな名前を付けることはないだろう
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