スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

収賄 語源

収賄の由来・語源



■収賄罪(しゅうわいざい)は公務員または仲裁人がその担当する職務に関連して賄賂を収受、要求、約束したり、またその結果として不正な行為をしたりしたときなどに成立する犯罪 (刑法)


■司馬遼太郎の言う如く「収賄」とはもともと中国の言葉で、金額的には、国家予算の半分ぐらいを私服することを言うのである
出典『歴史通』(著者:谷沢永一)


■谷沢永一は、日本は有史以来、為政者が国家的規模で「収賄」をした事実は一度もないと主張する


略歴・経歴(プロフィール)
■谷沢永一(たにざわ・ えいいち)
【1929年~2011年】日本の文芸評論家、書誌学者。関西大学名誉教授。専門は日本文学(近代)。大阪府大阪市出身。著書『人間通』『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』など


略歴・経歴(プロフィール)
■司馬遼太郎(しば・りょうたろう)
【1923年~1996年】日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名:福田定一(ふくだていいち)。大阪生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った
スポンサーサイト

ガチンコ 語源

ガチンコの由来・語源



■ガチンコは、大相撲やプロレスにおける「真剣勝負」を意味する隠語である


■本来は相撲界の隠語で、語源は力士同士が激しく立合いを行った際、「ガチン!」と音がするところから、真剣勝負を表す隠語として使用されるようになった


■1950年代に力道山が角界からプロレス界に身を投じて以降、大相撲の慣習・文化が多数取り入れられた日本のプロレス界においても、同様の意味で用いられるようになったとされる


略歴・経歴(プロフィール)
■力道山(りきどうざん)
【1924年~1963年】日本のプロレスラー。本名:百田光浩(ももた・みつひろ)、出生名・朝鮮名:金信洛(キム・シルラク,김신락)。日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里(現在の北朝鮮統治範囲)で現地人の両親のもとに生まれた。大相撲の力士出身。戦後に日本のプロレス界の礎を築き、日本プロレス界の父と呼ばれる。身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kg

ウィンブルドン現象 語源

ウィンブルドン現象の由来・語源


■ウィンブルドン現象は、「門戸を開放した結果、外来勢が優勢になり、地元勢が消沈または淘汰される」ことをいう


■外資系企業に国内市場を占有されながらも市場活性化が進むこと。表面的なニュアンスは日本のことわざの「庇(ひさし)を貸して母屋(おもや)を取られる」に近いが、実質的に経済上の利益につながることを意味する


■市場経済において自由競争が進んだため、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されること


■語源はテニスのウィンブルドン選手権。もともとは地味なローカルテニス大会であったが、レギュレーションを変更して成功、同選手権に世界中から強豪が集まる世界最高峰の大会となったものの、開催地イギリスの選手が勝ち上がれなくなってしまったことに由来する

学ラン 語源

学ランの由来・語源



■学ランの「ラン」は、江戸時代の隠語で洋服を意味する「ランダ」が略された語。 学生が 着るランダ(洋服)という意味から「学ラン」となった。 ランダが洋服をさす由来は、鎖国 時代の日本で「西洋」は「オランダ」のことを言ったためで、一般的には「蘭服(らんぷく)」 と呼ばれた


■鎖国(さこく)とは、江戸幕府が外交に関する権利を独占し、日本人の出入国及び貿易を管理・統制・制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、朝鮮王朝及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝と清朝)]及びオランダ(オランダ東インド会社)との間に通商関係があった


■オランダ東インド会社は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社である

黒字 語源

黒字の由来・語源



■黒字(くろじ)とは一般的には収入が支出を上回って剰余が生じた状態、または剰余そのものであり、また赤字(あかじ)とは逆に支出が収入を上回り超過した状態、または超過額そのものをさす。黒字財政や黒字決算などのようにあらゆる組織体の収支決算に用いられる


■黒字や赤字は、簿記においてマージンである数字を記載する時に剰余を黒インクで記し超過額を赤インクで記すことから生じた名称である


■黒字は、簿記で収入超過額を黒色で記入すること。 そこから、利益が出ることを「黒字」 と言うようになった。 言われ始めた正確な時期は不明だが、広まった時期は「赤字」と 同様、大正から昭和初期にかけてとされる


■簿記(ぼき)とは、ある経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである

成増 由来

成増(板橋区)の由来・語源



■成増(なります)は、東京都板橋区の町名である


■室町時代から明治時代にかけては赤塚六ヶ村(あかつかろっかそん)のひとつであった。市制町村制が開始されると赤塚村大字成増となり、1932年に板橋区成増町となった。現在でも、行政の区分としては赤塚地域に含まれることが多い


■地名の由来
地名の由来は諸説ある。江戸初期に甲州から移住してきて、この地を開墾した田中左京成益の名「成益」が転じて「成増」なったとする説。南北朝期の赤塚郷内の地名として見える石成村が転化して成増となったという説などがある


■日本発祥のハンバーガーチェーン、モスバーガーが1972年3月12日東京都板橋区成増で1号店をオープン。成増はモスバーガー発祥の地でもある


■成増駅の南口にはスキップ村と呼ばれる商店街があり、マクドナルド成増店やダイエー成増店などの商業施設のほか、高層マンションもある

モスバーガー 語源

モスバーガーの由来・語源



■モスバーガー (MOS BURGER)は、株式会社モスフードサービスが展開する日本発祥のハンバーガーチェーン、および同店で販売されているハンバーガーの名称である


■名前の由来
モスバーガーのMOSは、MはMountain(山のように気高く堂々と)OはOcean(海のように深く広い心で)SはSun(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味とされている


■モスバーガーの創業者
櫻田慧(さくらだ・さとし)略歴・経歴(プロフィール)
【1937年~1997年】モスフードサービス創業者。岩手県大船渡市出身。日本大学経済学部卒業後、日興証券に入社。脱サラし、モスバーガーを開業。1973年5月 「テリヤキバーガー」発売。1976年10月 50店舗目「コザ店」(沖縄県)オープン。1979年1月 100店舗目「小豆島店」(香川県、現存せず)オープン。外食産業初の全国47都道府県出店を果たし、同社を東証一部へ上場させた

いなべ市 由来

いなべ市の由来・語源



■いなべ市(いなべし)は、三重県の最北端に位置する市である


■由来
員弁郡(いなべぐん)の名前を平仮名にしたものであり、「員弁」の読み方がかなり難解であることから平仮名表記となっている。元々の由来は8世紀頃、物部氏の支系・猪名部族が居住していたことによる


■1998年(平成10年) 員弁郡(北勢町・員弁町・大安町・東員町・藤原町)各町長・議長による「合併検討委員会」発足


■2003年(平成15年)12月 三重県内初の平成の大合併である「いなべ市」が発足


■初代いなべ市長
日沖靖(ひおき・やすし)略歴
日本の政治家。三重県いなべ市長(初代)。1959年3月23日生まれ。三重県出身。三重県立桑名高等学校卒業。京都大学農学部農芸学科卒業。住友商事株式会社に入社。家業従事(日沖農具店)。大安町長に就任(3期)。2003年 初代いなべ市長に就任

しがらみ 語源

柵(しがらみ)の由来・語源



■柵(しがらみ)とは、物事をせき止めるもの。引き止めるもの。まとわりついて身を 束縛するもの


■柵(しがらみ)の語源・由来
「しがらみ」は川の中に杭を打ち並べて、その両側から柴や竹などをからみつけて、水流をせきとめるためのもの。 その柵の様子から転じて、自分が生きていくなかで、自分にまとわりついて自由な動きを制約して束縛するものという意味で使われるようになった


■実際にその由来となった柵が伊勢神宮に残されている。内宮の入り口、五十鈴川にかかる宇治橋の脇にあり、全長100メートルの木造の宇治橋の上流部分7~8メートルに何本もの杭が打ち込んである。これがその「しがらみ」だという


■しがらみの類語
義理、鬱陶しい、腐れ縁、結び付き、束縛、関係、社交、因縁、世事、煩わしい、・絡み合う、繋がり、邪魔

駆け引き 語源

駆け引きの由来・語源



■駆け引き(かけひき)の意味
相手の出方や状況に応じていろいろな手だてを講じ、自分に有利になるように処置すること


■駆け引きの由来・語源
もとは、戦場で隊の進退の頃合いをはかることをいった戦場用語である。敵に向かって攻め進むことを「かく(駆く)」、退却することを「ひく(引く)」といい、これらを機に応じて使い分けることが「駆け引き」である。江戸時代になると、商売・交渉における処置の意味で使われるようになった


■駆け引きの類語
取り引き、談判、談ずる、かけ合う、掛け合う、折衝、会商、交渉、戦術 、駆引き、作戦、 戦法、用兵、用兵術、タクティックス、兵法、韜略、軍略、オペレーション、軍法、探り合い、腹の探りあい、権力争い、心理戦、水面下での調整 、寝業、頭脳戦、キツネとタヌキの化かし合いなど

鹿児島市 由来

鹿児島市の由来・語源



■鹿児島市(かごしまし)は、九州の南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地でもある


■地名の由来
「鹿児島」という名の由来は、野生の鹿の子(鹿児)が多く生息していたからとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたから、火山を意味するカグという言葉から由来した等諸説ある

さらに、神話から来たという説もあり現在でもどれが正しいか確定していない

しかし、「カゴ」は崖という意味の古語であり、桜島の四方が崖になっていたので島名を鹿児島(麑嶋)と称する様になり、それが対岸の神社名(鹿児島神宮)として定着し、更には郡名に拡大したという説が有力である


■鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社である


■神社本庁(じんじゃほんちょう)は、神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人。神社本庁は神道系の宗教団体として日本で最大。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している

都城市 由来

都城市の由来・語源



■都城市(みやこのじょうし)は、宮崎県の南西端に位置する市である


■地名の由来
現在の都島町の位置に北郷義久が築いた城の名前「都之城」から来ている


■北郷義久(ほんごう・よしひさ)
南北朝時代から室町時代前期の日向の武将。北郷氏2代当主。初代当主北郷資忠の嫡男。別名は誼久(よしひさ)。本姓は島津であり、島津誼久とも称す


■北郷氏(ほんごうし)は薩摩国の大名、島津氏の有力分家。南北朝時代の島津宗家4代当主島津忠宗の子、資忠よりはじまる。資忠は北朝方として功があり、足利氏より薩摩迫一帯(現宮崎県都城市山田町)の地を与えられ、郷名を取って北郷氏を称した


■都之城(みやこのじょう)は、宮崎県都城市都島町にあった日本の城である。都城とも表記する。別名を鶴丸城。形式は山城。天授元年/永和元年(1375年)、島津氏の支族である北郷氏(都城島津氏)第2代当主北郷義久が築城し、以後北郷氏の本城となった

高麗町 由来

高麗町の由来・語源



■高麗町(こうらいちょう)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国鹿児島府下高麗町


■地名の由来
高麗町という地名は、島津義弘が慶長の役で連れてきた朝鮮人達をこの地に住まわせた事に由来する。その後、朝鮮人達は寛文3年と同9年に日置郡伊集院郷苗代川村(現在の日置市東市来町美山)へ移された


■島津義弘(しまづ・よしひろ)
【1535年~1619年】戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主


■文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は、文禄元年(1592年)に始まって翌文禄2年(1593年)に休戦した文禄の役と、慶長2年(1597年)の講和交渉決裂によって再開されて慶長3年(1598年)の太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で終結した慶長の役とを、合わせた戦役の総称である

加治屋町 由来

加治屋町の由来・語源



■加治屋町(かじやちょう)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下加治屋町


■地名の由来
加治屋町という町名の由来には次の説がある

鶴丸城が築城された慶長7年以降に加治木(現在の姶良市加治木地域)に居住していた家臣がこの付近に鶴丸城が築城されたことにより移転しており、加治木が訛って加治屋と言われるようになったという説

鍛冶屋職がこの付近に多数居住していたことに由来して鍛治屋町と呼ばれていたのが訛って加治屋町と呼ばれるようになったという説


■鹿児島城(かごしまじょう)は、鹿児島県鹿児島市城山麓にあった日本の城である。鹿児島では、一般的に古くから別名の「鶴丸城」(つるまるじょう)の名で呼ばれ、現地の案内図や看板などは「鶴丸城」表記でほぼ統一されており、「鹿児島城」での表記はほとんどない


■鍛冶屋(かじや)とは、一般的に鍛冶を行う店舗もしくはその職人を指す。主として鉄製品を扱い、刃物、工具、農具などの製造、修理を行う。一般的には、炉、鞴、金床などの設備を有しており、鉄製品の鍛造を行う。鍛造だけでなく溶接、切断の器具を備えているものも多い

宗像市 由来

宗像市の由来・語源



■宗像市(むなかたし)は、福岡県宗像地方(福岡地方北東部)に位置する市である


■地名の由来
宗像の地名の由来は宗像三女神の降臨・鎮座に際して、その形状を奉斎したことにより、「身の形」・「身の像」と称したことによる


■宗像三女神(むなかたさんじょじん)は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。宗像神(むなかたのかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれる。また、大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の神、要として、大和朝廷によって古くから重視された神々である


■宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である

春日市 由来

春日市の由来・語源



■春日市(かすがし)は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である


■地名の由来
市の名称は市内にある春日神社に由来する。春日神社は奈良時代、藤原氏の手により奈良の春日大明神を迎え入れ創建されたといわれている

「春日」の地名は古くは「霞処(かすが)」と書き、「ハルヒ(春日)がかすむ」と言う枕詞から「春日(はるひ)」が「かすが」と読まれるようになったといわれる


■春日神社(かすがじんじゃ)は、福岡県春日市にある、同市の名称の由来ともなっている神社である。天児屋根命、武甕槌命、経津主命、姫大神を祭神とし、太力雄命および太玉命を祭神とする末社たる若宮社、また薬師堂などを境内に有する


■春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社

筑紫小郡 

「筑紫小郡」の由来・語源



■「筑紫小郡」の名は、持統天皇3年6月(689年)、新羅の使者金道那を「餐応した」客館として日本書紀にみられる。小郡市は、往古の筑紫平野の北に位置し、大宰府に近く博多へ通じる交通の要衝を占め、また小郡市中心部(向築地)に当時の官衙跡が発掘され「小郡官衙遺跡」として国の指定を受けている。その軍事的・地理的特殊性から往時の大宰府客館所在地、また地方官庁所在地として小郡の地名が残り、いまに伝えられている


■持統天皇(じとうてんのう、大化元年(645年)- 大宝2年12月22日(703年1月13日))は、日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である

■新羅(しらぎ、紀元356年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。「新羅」という国号は、503年に正式の国号となった。新羅、半島北部の高句麗、半島南西部の百済の3か国が鼎立した7世紀中盤までの時代を朝鮮半島における三国時代という

■小郡官衙遺跡(おごおりかんがいせき)は、福岡県小郡市小郡にある古代官衙の遺跡。筑後国御原郡の郡家の跡と言われている。国の史跡に指定されている

にっちもさっちも 語源

「にっちもさっちもいかない」の由来・語源



■「にっちもさっちもいかない」は行き詰って、どうにも身動きがとれない状態


■語源
漢字で書くと「二進も三進もいかない」となり、「にっち」「さっち」は、算盤(そろばん)用語で「二進」「三進」が変化したもの。「二進」とは2割る2、「三進」とは3割る3のことで、ともに割り切れ、商に1が立って計算が出来ることを意味した

2でも3でも割り切れない、どうにも計算が合わないという意味で使われた

それがうまくいかないということで、金銭的にやりくりがつかない、商売がうまくいかないという意味で用いられるようになり、のちに、身動きがとれない意味へと変化していった


■「にっちもさっちもいかない」の類似語
なるようにしかならん、仕方ない、どうにもできん、どうにもならん、どうしようもない、 方法がない、手段がない、どうにも出来ない、もうどうしようもない、救いようがない、救えない、致し方ない、術がない、打つ手はない、改善の見込みがない、手段が見当たらない

山を張る 語源

「山を張る」の由来・語源



■山を張る(山を掛ける)
リスクの大きい賭けの勝負に出ること。「山」は「鉱山」のことで、「山を掛ける」「山を張る」は金や銀など貴重な鉱脈のありそうな山を予想して、そこへ採掘資金をつぎ込むことをいった


■語源
鉱山を切り開くために山の中で地下鉱脈を探す仕事を「山師」と呼んだ。「山を張る」という言葉はこの「山師」が勘と経験を頼りに鉱脈を探し当てる様子から生まれた言葉である


■「山を張る」の類似語
山勘、目星をつける、 当たりをつける 、推測する、 推定する、予想する、想定するなど


■鉱山(こうざん)とは、資源として有用な鉱物を採掘・選鉱・製錬し、主として工業用の原料として供給する事業所の事を指す。基本的には日本の鉱業法に基づく鉱物を採掘する事業所に、採石場、石切場などを加えたものが広い意味での鉱山といえる

直方市 由来

「直方市」の由来・語源



■直方市(のおがたし)は、福岡県の北部に位置する市である


■由来
古くは真言宗(しんごんしゅう)の名刹東蓮寺があったので東蓮寺とも呼ばれたが、室町期に兵火で寺は焼失する。のち、尊良親王(たかよししんのう)が城を築いて少弐氏(しょうにし)と戦ったため“皇方(のうがた)”と呼ばれるようになったのが地名の起源と云う


■真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する


■尊良親王(たかよししんのう)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の皇子


■少弐氏(しょうにし)は、日本の氏族の一つ。筑前、肥前など北九州地方の御家人・守護大名。藤原北家秀郷流と称した武藤氏の一族

背水の陣 語源

「背水の陣」の由来・語源



■背水の陣(はいすいのじん)
背水の陣とは、失敗すればもう後がないという、せっぱつまった立場で事に当たることのたとえ

川・湖・海などを背にして構えた陣立てを意味し、退却すれば水に溺れてしまうことから、一歩も退くことができないという状態で事に当たることをいう


■由来・語源
背水の陣は中国の史記「淮陰侯伝」の故事による。漢(かん)と趙(ちょう)との戦いで、漢軍の兵士は寄せ集めばかりであった。そこで、漢の名将・韓信(かんしん)が、わざと川を背にして陣をとり、味方に退却できないという決死の覚悟をさせる大勢をとった。趙の軍は兵法の常識を破った漢軍を大笑いしたが、韓信の思惑どうり、漢軍は決死の覚悟で戦ったので、見事に勝利をおさめた。この故事から、一歩もひけないような絶体絶命の状況の中で、全力を尽くすことのたとえとなった


■韓信(かんしん)
【紀元前230年頃 - 紀元前196年】中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される

瀬戸際 語源

「瀬戸際」の由来・語源



■瀬戸際(せとぎわ)は、物事の成功・失敗の分かれ目。また、安危の分かれ目という意味


■語源
「瀬戸」はあて字で、「瀬戸」と表記されるようになったのは近世以降である。元々は狭門(せと)という字が使われた。両側の陸地が接近して海が狭くなっている所。「際」は境界となるところ、境目の部分を意味する言葉で、瀬戸際は「狭い海峡と海との境目」が本来の意味。そこから、重要な分岐点、物事の分かれ目を瀬戸際というようになった


■瀬戸際の類似語
土俵ぎわ、土俵際、土壇場、どたん場、九死、絶体絶命、危機一髪、剣ヶ峰、剣が峰、ピンチ、虎口、越えてはならない一線、超えちゃいけない一線、超えちゃいけないライン、超えてはいけないライン、 限界、 リミット、制限、ギリギリ、 ギリギリのライン、最後の一線、最終ラインなど

鳴門市 由来

「鳴門市」の由来・語源



■鳴門市(なるとし)は、徳島県の北東端に位置し、鳴門海峡の西側に位置する市である


■由来
鳴門海峡を瀬戸内海と太平洋を結ぶ戸に見立てて、海峡に発生する渦潮の音の大きさから「鳴門」と呼ばれるようになったといわれている

1862年(文久2年)刊行の『雲錦随筆』(画家・暁鐘成 作)には鳴門の渦潮についての挿絵入りの随筆がある


■鳴門の渦潮(なるとのうずしお)は、徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市の間にある鳴門海峡で発生する渦潮である。大潮の際には渦の直径は最大で30mに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模といわれる


■鳴門海峡(なるとかいきょう)は淡路島(兵庫県南あわじ市)と四国の大毛島・島田島(ともに徳島県鳴門市)の間にある海峡。播磨灘と紀伊水道を結ぶ。日本百景に選定されている。大鳴門(おおなると)とも

ドブ板選挙 語源

「ドブ板選挙」の由来・語源



■ドブ板選挙(ドブいたせんきょ)は、日本における選挙活動、戦術の一種。ドブ板戦術、ドブ板活動とも言う


■由来
かつての選挙活動では、候補者や運動員が有権者に会うために民家を一軒一軒回った。その際、各家の前に張り巡らされた側溝(ドブ)を塞ぐ板を渡り、家人に会って支持を訴えたことが「ドブ板選挙」の由来である

現在公職選挙法では戸別訪問を禁止しているため、小規模施設での集会や、徒歩で街頭を回り通行人に握手を求める等、選挙区の一人ひとりに直に支持を訴える方法で行われる


■選挙(せんきょ)とは、首長や議員、団体の代表者や役員を選び出すこと。国政に関する選挙は国政選挙(こくせいせんきょ)、地方自治に関する選挙は地方選挙(ちほうせんきょ)と称される


■側溝(そっこう) とは、道路や鉄道敷、堤防の堤脚に沿って設けられる溝であり、専ら当該道路等の滞水を防ぐための排水目的で施工される。プレキャスト製品などで製作されているものもあり、これについては一部JIS規格などの規格が定められているものもある

鯛 語源

「鯛(タイ)」の由来・語源



■鯛(タイ)とは、広義にはスズキ目タイ科の総称、狭義にはタイ科のマダイを指す


■語源
他の魚に比べてひらたいその姿(高さに比べて厚みが少ない)から来ている

タイは「たいら(平ら)」の「たい」と同源と考えられている

漢字の「鯛」は「調和のとれた魚」の意味があり、「均整のとれた側扁」からきていると言われる


■日本では一般的に高級魚として認知されているが、日本人以外の民族で、この魚を「魚の王」とみなしている例はほぼ皆無である。 タイ科にはマダイの他に、クロダイ、キダイ、チダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、アカレンコなどが含まれる


■ことわざ
「海老で鯛を釣る」「鯛の尾より鰯の頭」「腐っても鯛」などのことわざがある。また、「鯛やヒラメの舞い踊り」など、鯛は魚類の代表格として扱われていることがわかる


■県の魚
千葉県では鯛、愛媛県ではマダイをそれぞれ県の魚に指定している

言葉の綾 語源

「言葉の綾」の由来・語源



■「言葉の綾(ことばのあや)」の意味
微妙な意味あいを表したり、事のついでに付け加えたりする、巧みな言葉の言い回し


■語源
「言葉の綾」の「綾」は「綾織(あやおり)」という布の織り方の一種で、非常に複雑な織り方をしている。つまり、巧みな技術が必要だという事で「言葉の綾」とは、巧みな言い方の事をいうようになった


■綾織(あやおり)もしくは斜文織(しゃもんおり)とは織組織の一つで、タテ糸が2本もしくは3本のヨコ糸の上を通過した後、1本のヨコ糸の下を通過することを繰り返して織られたもの

平織、繻子織とあわせて三原組織の一つである。糸の交差する組織点が、斜紋線(しゃもんせん)または綾目(あやめ)と呼ばれる線を斜めに表し、できあがった模様は左右非対称になる。織組織の関係上、生地の表面はタテ糸の割合が多い


■織組織(おりそしき)とは、織物の互いに直交する経糸と緯糸が、上下に組み合わさって平面を形成しているこの経糸・緯糸の上がり下がりの規則のことをと言う

笑味 語源

「笑味」の由来・語源



■笑味(しょうみ)の意味
食べ物をお中元などで他人に贈るときなどに、粗末な品ですがお笑い草にひとつ召し上がって下さい、という謙遜の気持ちを込めていう語。「ご笑味ください」


■お中元の起源
古い中国から伝わった「三元」と称して、贖罪(代償物によって過去に犯した罪業をあがなうこと)の日とした上元(1月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)の内の中元が、日本古来の御魂(霊)祭り(みたままつり-1年を2回に分けて先祖の霊を迎えてお供え物や贈り物をした習し)と、伝来した佛教の盂蘭盆会(うらぼんえ-7月15日)とが重なったことから、夏の贈り物として「お中元」を贈るというの贈答習慣が根付いた


■盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事のこと。日本における日付については、元々旧暦7月15日を中心に行われていたが、改暦にともない新暦(グレゴリオ暦)の日付に合わせて行ったり、一月遅れの新暦8月15日や旧暦のまま行っている場合に分かれている

しちめんどう 語源

「しちめんどう」の由来・語源



■「しちめんどう」の意味
とてもめんどうな様子


■由来・語源
漢字で書くと「七面倒」となる。この「七」は当て字で時刻とは無関係。この「七」は、程度を強める働きを持つ言葉である。七面倒 (しちめんどう)は「面倒」を強調した言葉。シチは程度 を強める接頭語で、わずらわしくて嫌だという意味を添える


■「七面鳥(しちめんちょう)料理は、手間が掛かって大変」と言うところから出来た言葉である

七面鳥(しちめんちょう)は、鶏に比べて肉質が良く美味しいが、その分、太い骨や羽を処理するのが大変。クリスマスなどで七面鳥料理を作ると、疲労で倒れてしまいそうになることから「七面鳥倒れ」とも呼ばれ、「鳥(ちょう)」と「倒(どう)」の読みが重なって「七面倒(しちめんどう)」になったとされる

黒幕 語源

「黒幕」の由来・語源



■黒幕(くろまく)とは、政治において国に影響を及ぼす強力な人物。表の最高権力者を裏で操る人物や、最高権力者を降りた後にも政治的影響力を行使する人物などである


■語源
語源は歌舞伎で、舞台裏で黒い幕を操作し進行に関わることから、背後で影響力を行使する強力な人物をこの進行役になぞらえ、こう呼ぶようになった


■黒幕の類似語
「影の総理」「闇の権力者」「総理指南役」「鎌倉の老人」「大勲位」「主筆」「ゴッドファーザー(女性の場合はゴッドマザー)」「フィクサー」「キングメーカー」など


■日本で「黒幕」と称された人物
・頭山満(玄洋社の総帥)
・杉山茂丸(明治から大正、昭和初期にかけての首相のブレーンとして活躍)


略歴・経歴(プロフィール)
■頭山満(とうやま・みつる)
【1855年~1944年】明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥。右翼の源流、右翼の巨頭などといわれた。現・福岡県福岡市に福岡藩士・筒井亀策の三男として生まれた

倉敷市 由来

「倉敷市」の由来・語源



■倉敷市(くらしきし)は、日本の本州・瀬戸内海沿岸、中国地方の南東部及び岡山県の南部に位置する市である


■地名の由来
現倉敷市の名称は、全国的にも観光地として知られる倉敷美観地区の周辺一帯の旧地名「倉敷村」に由来する。倉敷という地名は、中世に支配地の年貢米や貢納物を領主へ送るために、周辺の支配地からそれらを集めておく場所であった「倉敷地」に由来しているとする説が地元の歴史家の間では有力とされる

倉敷村はかつて倉敷地であったといわれている。倉敷地は「蔵屋敷が立ち並んだので、『蔵屋敷』地が転訛して『倉敷』地となった」と云われ、また「倉とは船蔵屋敷あるいは水夫屋敷のことを指す」ともいわれる


■倉敷地(くらしきち)は、中世から近世の日本の領地支配において使用された用語である。中世の荘園や近世の大名領・幕府領などの領地・支配地における年貢や貢納物を領主の所在地に輸送する目的で、一時的にその物資を保管しておく場所、およびその建造物(倉庫)のことである。その地には蔵屋敷が建ち並んだことから、蔵屋敷が転訛したものともいわれる。かつて倉敷地だったところは、地名にその名残を留めているところもあり、倉敷市(岡山県)はその代表格である


■日本における荘園(しょうえん)とは、奈良時代に律令制の下で始まり、羽柴秀吉による太閤検地によって終わりを告げる、権力者の私有地を指す。時代ごとに形式が異なる
プロフィール

originetymology

Author:originetymology
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。