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剣ヶ峰 語源

「剣ヶ峰」の由来・語源



■剣が峰(けんがみね)は、火山の噴火口の周縁が原義であり、特に富士山の山頂を指す名称であった


■語源
火山の噴火口の際に立つと、転落する危険がある。ここから、「剣ヶ峰」が生死の分かれ目を指す様になり、更に余裕がなくギリギリの状態、成功か失敗かの瀬戸際を「剣ヶ峰」と言う様になった

相撲界(すもうかい)では土俵の俵の上のことをさす。ここまで追いつめられるとまったくあとがない。したがって,助かるか助からないかの瀬戸際のこともいう


■中国語における剣峰は、雲南省の景勝地である石林で地名として見ることができる。それは険しく切り立った峰のような形の巨岩であり、そういった形状をした夥しい数の岩群であるが、日本語の「剣ヶ峰」がそうであるように、「剣峰」は石林のものに限った地名でない可能性もある

弟子屈町 由来

「弟子屈町」の由来・語源



■弟子屈町(てしかがちょう)は、北海道釧路総合振興局管内の川上郡にある町


■町名の由来
町名の由来はアイヌ語の「テシカ・カ」(岩盤の上)からきている


■かつては原生林が広がる土地であった。佐野孫右衛門が政府の許可を受け、1876年から硫黄山の試掘を始め、翌年に採掘を開始したが収益が上がらず、硫黄山は函館の銀行家山田慎によって買収される


■その後所有権は安田財閥の安田善次郎に譲渡され、 1887年から硫黄の採掘を開始、1888年には輸送のために北海道で二番目となる釧路鉄道が硫黄山-標茶間に敷設された


略歴・経歴(プロフィール)
■安田善次郎(やすだ・ぜんじろう)
【1838年~1921年(天保9年~大正10年)】安田財閥創始者。越中国安田村(現・富山県富山市)生まれ。文久3年、江戸日本橋で小銭両替商開業。明治13年、合本・安田銀行(旧富士銀行、現・みずほ銀行)を創立。以降、保険、信託その他の分野に進出して安田金融財閥を形成した。83歳で没

三木市 由来

「三木市」の由来・語源



■三木市(みきし)は、兵庫県の南部、東播磨地方に位置する市である


■地名の由来
神功皇后が君が峰で休憩時に地元から壷に入れた酒を献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)、美壷(みつぼ)→美嚢(みのう)となったと伝えられている


■神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后


■壺(つぼ)は、主として、食糧の貯蔵や水や酒などの飲料の運搬という用途に用いられる器である。焼き物が多いが、ステンレス鋼製(医療用などに)やプラスチック製もある


■酒(さけ)は、エチルアルコール(アルコールの一種)が含まれた飲料の総称。「お酒」という丁寧な呼び方もよく用いられ、「酒類」や「アルコール飲料」、またソフトドリンクに対して「ハードドリンク」とも呼ばれることがある

宝塚市 由来

「宝塚市」の由来・語源



■宝塚市(たからづかし)は、兵庫県南東部(阪神間)に位置する市である


■地名の由来
宝塚の「塚」は、「盛り土をした墓(古墳)」を意味する。宝塚は文字通り古墳の名称であるが、宝塚には古墳が多くあり、宝塚と呼ばれていた古墳に関しては諸説あって場所が特定されていない。江戸時代には「宝塚」の地名が使われていた


■古墳(こふん)とは、古代の墳墓の1種。土を高く盛り上げた墳丘を持つ墓を指し、特に東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された


■江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ


■藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い

大阪狭山市 由来

「大阪狭山市」の由来・語源



■大阪狭山市(おおさかさやまし)は、大阪府南河内地域に位置する市である


■地名の由来
狭山の地名は河内国丹比郡(のち分割され丹南郡)の郷名に由来し、東の羽曳野丘陵と西の河泉丘陵に挟まれた地形による

1987年10月1日、南河内郡狭山町が市制施行して狭山市となる。埼玉県狭山市が先に名称を使用していたため、即日改称して大阪狭山市となった


■河内国(かわちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する


■丹比郡(たじひのこおり、歴史的仮名遣い:たぢひのこほり)は、かつて河内国にあった郡である。現在の松原市・大阪狭山市・堺市東区・堺市美原区の各全域と、大阪市東住吉区・大阪市平野区・八尾市・藤井寺市・羽曳野市・堺市北区の各一部に相当する


■丹南郡(たんなんぐん)は、大阪府(河内国)にあった郡

藤井寺市 由来

「藤井寺市」の由来・語源



■藤井寺市(ふじいでらし)は、大阪府南河内地域に位置する市である


■地名の由来
市名は、市内にある「葛井寺」(ふじいでら)に由来する。葛井寺は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定されている


■葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三所第五番札所


■百済(くだら)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家(346年?- 660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて百済の存在した時代を朝鮮半島における、三国時代という。新羅を支援した唐によって滅ぼされ、故地は最終的に新羅に組み入れられた

大東市 由来

「大東市」の由来・語源



■大東市(だいとうし)は、大阪府北河内地域に位置する市である


■地名の由来
地名の由来は「大阪市の東部に隣接する衛星都市として飛躍的発展が期待されるという明るい展望」を、「光は東方より」という古代ローマのことわざに託したことによる


■光は東方から
古代ローマのことわざ。ローマの文化は、東にあるギリシャの文化を受け継いでいるの意。転じて、世界の文明は初めにエジプトやメソポタミアなどオリエント(東方)に興ったの意


■大東市に本社を置く主な企業
アートコーポレーション、アールエスタイチ、アカカベ、川村義肢、ザクティ Xact、三洋電機、摂津倉庫、象印ファクトリー・ジャパン、内外硝子工業、パシフィックサプライ、フットワークインターナショナル、船井電機、フレンドリー、京セラ(SANYOブランドの携帯電話を製造)の工場など

寝屋川市 由来

「寝屋川市」の由来・語源



■寝屋川市(ねやがわし)は、大阪府北河内地域に位置する市である


■市名の由来
市名は、御伽草子の「鉢かづき」に登場する主人公・初瀬姫の父である藤原実高の別荘が、高野街道を行く旅人に宿を提供して「寝屋」(旧交野郡寝屋村。現寝屋川市寝屋)と呼ばれるようになったことに由来する


■『御伽草子』(おとぎぞうし)は、鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した、それまでにない新規な主題を取り上げた短編の絵入り物語、およびそれらの形式


■鉢かづき(はちかづき)は、古典の「お伽草子」の話の一つ。鉢かづき姫、鉢かつぎ姫とも呼ばれる


■高野街道(こうやかいどう)とは、かつて京・大坂から高野山への参詣道として用いられた街道で、主に大阪府河内長野市から和歌山県橋本市の間を指す。また、現在の国道371号旧道のうち、大阪府河内長野市から和歌山県橋本市までの区間の呼称にもなっている

深川 由来

「深川」の由来・語源



■深川(ふかがわ)は、東京都江東区の地名


■地名の由来
近世までは、深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もいなかった。徳川家康の入国により天正18年(1590年)から開削が進められていた小名木川の北側を、摂津国出身の深川八郎右衛門(ふかがわ・はちろうえもん)ほか6人が開拓し、慶長元年(1596年)に深川村を創建したのが始まりであるという

伝説としては、秀吉によって関東に移封された徳川家康が、深川を訪れた際に、深川八郎右衛門にこの地の地名を尋ねたが「まだ住む人も少なく、地名もない」と答えたところ、八郎右衛門の姓「深川」を地名にするように命じたことが発祥と言われている


■深川は材木商人として財を成した紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門も一時邸を構えた


■深川は曲亭馬琴がこの地で生まれ、平賀源内や松尾芭蕉、伊能忠敬なども住んだ

かりゆし 語源

「かりゆし」の由来・語源



■かりゆしウェアとは、沖縄県などで主に夏のあいだ着用される日本発のナショナルブランドシャツである


■語源
かりゆしは「嘉例吉」と書く。「かりゆし(嘉例吉)」とは、沖縄の方言で「めでたい」という意味を表す。嘉例とは古語で「縁起のよいことやめでたいこと」の事象を示す

語源的には「軽石(かるいし)」からきている。船出する時、軽石は沈まないので「かりゆし」と声をかけて、船の安全を祈った。縁起のよいこと、幸福をもたらすことの意味を表す

嘉例はあとからの当て字であり、初めは「軽石」であった。「軽石(かるいし→かりゆし、と変化した)」という説が有力


■かりゆしウェアは、最初は1970年に沖縄県観光連盟が「おきなわシャツ」として発売し、その後、2000年デザインの限定を緩和することで、名称を「かりゆしウェア」に統一し、同年の沖縄サミットを契機として広く着られるようになった


■かりゆしウェアは2005年以降にはクール・ビズの一種として内閣府沖縄担当部局を中心に中央官庁で着用の動きがある

泉佐野市 由来

「泉佐野市」の由来・語源



■泉佐野市(いずみさのし)は、大阪府泉南地域に位置する市である


■地名の由来
中世以来の村の名称『佐野』に旧和泉国の国名を冠したもので、「狭い原野」という事から「狭野」というようになり、それが転じて「佐野」になったという言い伝えが残っている


■和泉国(いずみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する


■もともとは「泉」一字であった。「和泉」の国名は和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令により国名を二字にする必要があり佳字の「和」を付与したものにしたためで、「和」は読まない。現在の大阪府和泉市の市名は、かつて市内府中町に国府があったことに由来する


■和泉市(いずみし)は、大阪府泉北地域に位置する市。古くより和泉国の中心地であり国府があったことから、近代に入り「和泉町」と名付けられた。その後、市制を施行し、更に周辺町村と合併して現在に至っている

茨木市 由来

「茨木市」の由来・語源


■茨木市(いばらきし)は、大阪府三島地域に位置する市である


■市名の由来
市名の由来はイバラの木が多く茂っていたことやイバラを切って屋根をふいたという説から「茨切」(いばらきり)がなまって「茨木」となった説などの説がある


■安土桃山時代、山間部一帯がキリシタン大名・高山右近が治める高槻藩領だったため、江戸時代のキリスト教禁教の時期にも密かにキリスト教を信仰する人が住む「隠れキリシタンの里」が山間に点在していた


■高山右近(たかやま・うこん)
【1552年~1615年】戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリア。同じく摂津国人の中川清秀は従兄弟とされる。高山氏は摂津国三島郡高山庄(現在の大阪府豊能郡豊能町高山)出身の国人領主である

きしめん 語源

「きしめん」の由来・語源


■きしめんとは、幅が広く薄い日本の麺、ならびにその麺を使用した料理を指す。一般的なうどんとは形が異なり平たい形状のために、平打ちうどん(ひらうちうどん)とも呼ばれ、愛知県では「きしめん普及委員会」を発足するなど愛知県の名物ともなっている


■語源
「きしめん」の語源は、中世に禅僧が中国から伝えた「碁子麺・棊子麺(きしめん)」が有力である。「原型は麺でなく碁石型だった故に、“碁子麺”が転じて“きしめん”となった」

「紀州の者が作った“紀州麺”(きしゅうめん)から“きしめん”となった」という説、「キジの肉をめんの具にして藩主に献上した“雉麺”から」など、諸説ある


■碁石(ごいし)は、囲碁、連珠に使用する用具で、黒・白2色の円盤形の物体である。黒白2色で一揃いとなり、碁笥(ごけ)ないし碁器(ごき)と呼ばれる容器に入れておく。囲碁を行う上では単に「石」と呼んだりする

うちわ 語源

「うちわ」の由来・語源



■うちわ(団扇)とは、手で扇いで風を起こす道具の一種。あおいで風を起こす道具。竹を細く削った骨に、紙や絹などを貼って柄をつけたもの


■語源
「うち(打ち)」+「わ(ハ・羽)」とされる。「うち」は「打つ」、すなわち叩くような動作をすることから、「わ」は鳥の羽を材料にしたことからきたと考えられる


■古来、うちわは木製品、鳥毛や獣毛、蒲葵(びろう)や芭蕉の葉にはじまり、もっと大型で、「あおぐ」ためより「はらう」「かざす」ためのもので、威儀、儀式、縁起、祈願、軍配、行司、信仰、占いなどにつかわれた


■その後、形態や材質は時代によって変化してゆき、室町時代末、軽くて扇部がへたらない構造として、竹骨と紙を素材とする現在のかたちとなる


■うちわの諺
左団扇で暮らす(ひだりうちわでくらす)
【意味】左団扇で暮らすとは、生活の心配もなく、のんびりと安楽に暮らすことのたとえ

泉大津市 由来

「泉大津市」の由来・語源



■泉大津市(いずみおおつし)は大阪府泉北地域に位置する市である


■地名の由来
市名は和泉国の国府の外港(国津)であったことに由来する


■和泉国(いずみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する


■国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市。国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった


■外港(がいこう)とは、主に内陸に位置するなどの理由により港をもたないか、港があっても機能が不十分な中枢都市の比較的近くの海浜部または川沿にあり、その都市の港湾機能を果たす港湾・港湾都市(港町)のこと。また、主要港の機能の一部を分担する港湾のことを指すこともある

木津川市 由来

「木津川市」の由来・語源



■木津川市(きづがわし)は、京都府南部の市である


■地名の由来
木津川市は京都府の南端に位置し、市名は中央部を流れる木津川に由来する

合併協議時には「山城市」「京山城市」「南京都市」「恭仁京市」とする案も出たが、見送られた


■木津川(きづがわ)は、三重県および京都府を流れる淀川水系の支流で一級河川である


■木津川市の特徴
聖武天皇が平城京から遷都した「恭仁宮(くにきゅう)」跡や、国宝の五重塔で有名な「海住山寺(かいじゅうせんじ)」など歴史文化遺産と、関西文化学術研究都市という最先端の科学技術拠点が同居している


■恭仁京(くにきょう、くにのみやこ)は、奈良時代の一時期、都が置かれた山背国相楽郡の地。現在の京都府木津川市加茂地区に位置する。大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも

黄色い声 語源

「黄色い声」の由来・語源



■女性の甲高い叫び声のことを「黄色い声」という


■語源
黄色い声(きいろいこえ)という言葉は、お経のメロディーに由来する。お経にも豊かなメロディーがあり、音譜の代わりに文字の横に墨で印がつけられていた

さまざまな色を使って音の高低を示していた。そういう経典で、いちばん高い音を表していたのが、黄色だった。ちなみに、もっとも低い音は「緋(あか)」で黄色 と緋の間は細かく色分けされていた


■お経とは、仏教徒のための教えをを説いた「経典」のこと。キリスト教の「聖書」にあたる


■小乗仏教の経典は、釈迦入滅後十大弟子と500人の弟子により口伝されたものを、数百年後に文章化


■大乗仏教は、後世の仏教徒たちが、これが釈迦の真の教えであるとし、創作したもの


■玄奘三蔵がインドより持ち帰り中国語に翻訳したのが有名

梨園 由来

「梨園」の由来・語源



■梨園(りえん)とは中国・唐の宮廷音楽家養成所である。日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた特殊社会としての歌舞伎俳優の社会を指す


■梨園の由来
唐の玄宗皇帝の故事に由来する。 玄宗皇帝は音楽や舞踏の愛好家で、自ら舞楽を 教えていた。 その場所に梨が多く植えられていたことから、音楽や舞踏を学ぶ者を「梨園の弟子」といい、転じて、その世界をさすようになったとされる

日本では、歌舞伎の成立とともに梨園(りえん)という語が使われたため、特に歌舞伎の世界を指すことが多い


■玄宗(げんそう)は、唐の第9代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った

■唐(とう)(618年-907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国であった

橋本市 由来

「橋本市」の由来・語源



■橋本市(はしもとし)は、和歌山県の北東端に位置する市である


■地名の由来
橋本市が誕生した1955年以来51年ぶりの2006年3月1日に、橋本市と高野口町と合併し、新市名称も橋本市となった

「橋本」の名称の由来は、1588年、高野山の木食応其(もくじきおうご)が紀の川に橋を架けたことによる


■木食応其(もくじきおうご)
【天文5年(1536年)- 慶長13年10月1日(1608年11月8日)】安土桃山時代の真言宗の僧で、外交僧・勧進僧・連歌学者。法名(法諱)を応其(應其)、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称


■高野口町(こうやぐちちょう)は、和歌山県伊都郡にあった町である
2006年3月1日、隣接する橋本市と合併し、新市制による橋本市となった。合併後もかつての町域は橋本市高野口町となっている

海南市 由来

「海南市」の由来・語源



■海南市(かいなんし)は、和歌山県北部沿岸部に位置する市。紀州漆器の産地


■地名の由来
1934年5月1日 海草郡黒江町・内海町・日方町・大野村が合併して海南市が発足。海草郡南部に位置することからこの名称がついた

海草郡(かいそうぐん)は、和歌山県(紀伊国)の郡

かつて、和歌山県議会で海草郡選出議員が強大な勢力を誇った。それゆえ「海草閥」と呼ばれ、同郡内への旧制中学校の設置を求めたり、郡部の和歌山市への編入に反対したりするなど、県政に非常に大きな影響力を持った


■紀美野町(きみのちょう)は、和歌山県中部の海草郡にある


■2006年1月1日 野上町・美里町が合併して発足。紀美野町の町名は公募によるもので、紀州(和歌山県)の「紀」と美里町の「美」、野上町の「野」を取り、「君の町」の意味とかけたもの
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